「先生への手紙」(八王子の僧侶、霊能者)

前略
 初めてお手紙を差し上げます。
 ○○先生の御著書を拝読させて頂き、突然にてまことに失礼とは存じますが、ご指導いただきたく、このお手紙を書いております。
 恥ずかしながら、悪筆である為、自筆でないことをお許しください。
 今年の一月、最愛の妻を突然に亡くしました。妻は自らの命を絶つことにより私の元を離れて行きました。
 四年前に、神経性胃炎と診断をされ、以後、鬱病として神経薬を服用しておりましたが、行動にも、精神的にも何ら異常なところは見られず、幸せな日々を送ってきました。

 結婚以来、喧嘩もせず、二人でいられることに人生の喜びを実感し、他の多くを望むことも無く、未来永劫にこの時間が続くことを、そして、最後は共に老いて天に召されることを疑うことなく、平凡と言う最高の幸せに感謝し、生きてきました。
 ところが、昨年の暮れから、体の不調を訴え続けるようになり、体が神経薬を受け付けないと苦しみ始め、そんな薬を服用してしまったこと、妻にとっては、服用させられてしまったことを非常に悔いておりました。
 今年になり、信頼できる病院を探し始めた矢先の出来事です。私とも電話で普通に三十分間話をし、その三十分後の出来事でした。
 亡くなった当日は、何が起きたのか理解できず、ただ、幸せだった日々だけが脳裏に浮かび、人間の一生分の幸せを使い果たし、そして、幸福の絶頂で、天に帰っていったように感じておりました。
 しかし、冷静になるにつれ、もし、人間の幸せの絶対量が定められているのならば、私も一緒に神佛に召されるはずであり、何よりも、自殺して安らかになれる法則など無いことに気づき始め、原因の判らない現実だけが残されております。

 妻は、妬み、僻み、恨みを持たぬ、そして、ただ私を愛することだけが幸せであった、心の清らかな女性でした。
 妻が生前よく言っていた言葉が、「もし私が死んだら、あなたを、ずっとずっと見守ってあげる」であり、亡くなる二〜三日前には、「あなたの心の中でずっと生きていたい」、「一つの体になりたい」とも言っておりました。
 妻の最後の私への訴えであるこの言葉の意味することが、未だ理解できません。

 以来、いかなる時でも、妻の辛かった心情を思い、苦しみ、妻の安らぎばかりを願う毎日です。
 私が、強く、元気を出して、先に旅立った妻をしっかり供養して行かねば、妻の魂は決して安心することは出来ないと頭では理解しているのですが、涙の流れない日は一日たりとも無く、生きて行く目的も見失っており、また、今後も、時間が解決することは無いものと感じております。
 決して許されることではないと解ってはおりますが、寂しいであろう妻の元へ早く行ってあげたいと、妻からのお迎えが来ることを期待し、待ち続けております。
 妻と過ごせた時間は、私の宝物であり、この宝物を大切に、増やすことも減らすことも無く、妻に会いに行きたいと願っており、人として生かされている意味も、親、兄妹、多くの私を愛してくれる人への恩も忘れかけ、ただただ妻に会いたいだけの欲望を持った畜生となっております。

 私が、今、もっとも苦しんでいることは、寂しいことではなく、亡くなった妻の現在が心配であることです。そして、唯一の望みは、妻が安らかであること、また、安らかにさせてあげることです。
 自殺と言うものは本人の意思とは無縁のものであり、愚かな、本当に自分勝手な私に、何か大きな問題があるということも、先生の御著書を読むまでも無く分かっておりました。
 そして、今、生かされている私は、ただ死ぬほどの苦しみが無いだけ、運が良いだけであり、決して自殺者を弱い愚かな人間であるなどと否定することは出来ないと考えております。

 私は、幼少(七歳)の時、事故で父を亡くし、以来、「死」を身近なものととらえ、霊、魂、神、佛と言うものについいては、漠然とその存在を信じておりました。
 宗教に対しては、特定の宗教に帰依したことはありませんが、人として正しく生きることが宗教の教えであると考えております。

 しかし、何故、妻が死ななければならないのか。何が大宇宙の真理なのか、何も解らず、本当のことだけが知りたく、今の私は、自己都合による合理的な解釈を一切拒否しております。
 未だ、妻の霊を感じることができぬのは、私の今までの生き方と、魂の不浄さゆえと理解しておりますが、妻の魂を救いたく、今までの罪を一つ一つ償いたく謙虚に反省して行く覚悟であります。
私が真の心の成長を成し、神佛に許されたとき、私の望がかなうものと、そして、来世において妻と再会し、今世の分まで幸せにしてあげられると信じております。

 多くの方にお叱りを受け、自分の甘さにも気づいており、「自らの命を絶つ」ようなことについては、自分ではないものと考えておりますが、やはり、周囲の心やさしい方々からは、そのように見えるようです。多くの方の暖かいお心に支えられていることの意味を、大切にしなければならないと感じております。

 先生のご多忙ぶりは十分存じ上げておりますが、なにとぞ、ご指導いただきたくお願い申し上げます。

 ○○先生から聞かされるお話は、私にとって、非常に辛いものであることは覚悟しております。しかし、全て正面からうかがい、逃げることなく、真実だけを直視し、妻の供養を果たして行くことのみが、私の残りの人生に課せられた使命だと考えております。

敬具

平成○年六月三十日

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