『霊能者は実在する。霊視内容と現実の一致』

《1. 霊能者とは》

 妻が旅立って四十九日も過ぎない頃、「もう一度会えたら」(ジェームズ・ヴァン・プラグ)の著者のような霊能者に会いたくて、 ネットの検索ワードで「死後、霊能者」を調べまくりました。
 その中の一つに気になるページを見つけ、メールを送り、その直後の深夜、
 「あなたに自殺の気配を感じたから。 あなたしか知らないことを私が言い当てたら死後の世界を信じてくれる?」と電話をいただき、霊能者巡りはそこから始まりました。

 結局6名の霊能者(と呼ばれている人)に会いました。
 色々なタイプ霊能者がいて、費用もそれなりにかかりましたが、俗な言い方をすれば、3勝2敗1分け、勝率6割です。 しかも3勝は大勝でしたし、引き分けも、否定すべきものは無く、むしろ勝に近い引き分けです。何も無かった2敗も含めて納得しています。

 それまでは、テレビで見たり、知人から話を聞いたりして、「へー、こんなこともあるのかな?」程度でしたが、 霊能者と言われる方たちに会って、私も知らない事実を言われて、それが現実に確認できれば、これを「偶然」と言って片づけることはできません。
 科学で証明されていないからといって、何も確認しないで否定することは非真摯的であり、これこそが合理性に欠け、非科学的であると考えます。

 私から情報を提供する前に、具体的な事実を言われる。ともすれば、私の知らないことまで具体的に告げられ、それが、後日、はっきりと確認できる。
 具体的すぎる事柄をあえて言う必要はないのに、色、形が一致し、口真似までされて、口癖や、妻と二人だけの秘密まで言われたら、 どうして否定ができるのでしょうか?
 思い込みの強い方の想像、推察力・読心力の高い方の推論もあるでしょうが、何しろ具体的すぎます。

 何かが見え、聞こえてる人は確かにいます。見えたものが「霊」なのか、「思念」なのか、それとも違う「何か」なのかは分かりませんが、 いわゆる「残留思念」であれば、会話は成立しないのではないでしょうか。

 しかし、何度も不思議現象を体験し、死後の世界の存在をかいま見ても納得することができず、完全に物理的に理解・証明しようと、その後も修羅の旅が続いておりました。
 霊能者の霊視は、事実確認の積み重ねであり、ポイントとしての答えあわせのようなものです。それはなぜ起きるのか?そこから、 何をどうしたらよいのか?分からないことだらけでした。

 3名の霊能者の、事実確認できた答え合わせについて記載しますが、私が死を選択する直前だったり、疲れ果て諦めかけていた時、 そして、得られた様々な情報を確認するべき時だったり、最適な時期に、通常ではお会いすることはない素晴らしい方々にお会いできました。
 「霊能者」という言葉にすら嫌悪感を感じ、攻撃の対象とする者もいますが、現実として私は、お会いした皆様のやさしさに癒やされ、 人としての品格の高さを尊敬すらしております。死別喪失のグリーフケア、カウンセリングとしてであれば、これだけでも十分なのでしょう。

「情報は、最適な時に訪れる」

@大阪の○○先生

 大阪まで新幹線で向かい、午後1時に訪問し、そこから霊視が始まりました。午後7時過ぎくらいまでいたかと思います。 色々なことを告げられ、叱られることも、納得できないことあり、情報過多気味でした。
 帰りの新幹線の中で、霊視されたことを思い出してみましたが、その時は「???」であり、「あの世の存在」について、 肯定も、否定もできないまま、「???」が続いておりました。
 確かに、妻と私しか知り得ないこと、大阪の○○先生が知るわけのない具体的な事実も幾つかありましたが、 その時は、それを「偶然では?」と疑い、冷静に「霊視の結果」として整理できずにいました。

 翌日、霊視で告げられた私も知らない「妻の亡くなった場所の風景(自死であるため)」を確認に行って、その一致に全身から力が抜けてしまうほどでした。
 「大きな道路、街路樹が有る大きな道路がみえる。そして、そこにグレー色の大きな箱(手で大きさを示す)がある。 これ何かしら?ゴミ置き場か、何かの道具入れか、大きな箱が歩道に置いてある。ここで亡くなっている」
 そして、このままの景色が目の前に広がっておりました。

「霊視の風景1」 前妻の旅たちの場所

 前妻の旅たちの場所へ、16年ぶりに行ってきました。
 歩道に置かれていたグレー色の箱は無くなっていましたが、霊視内容との一致が確認できます。(撮影日時:平成29年4月8日、早朝)

霊視画像 写真左側の車止めの横、植栽帯の間に、グレー色の箱が置いて有りました。

 長時間に渡る霊視であったため、この他にも、大小様々な現実との一致がありました。
 例えば、「玄関を入って、廊下の先の右側の部屋にある白い陶器の置物を、とっても欲しがっている。これなに?」と言われ、白い陶器などはなく、 初めは否定しましたが、確かにその部屋には、白い室内灯が置いてあり、白い陶器のように見えます。これは、亡くなる直前に、妻と買いに行ったお気に入りのインテリアです。
 他にも、お世話になった葬儀屋さんのこと、その方の家の風景(後日確認しました)、妻の実家のことなどなど。
 たいていの人はこれで納得するのでしょうが、私はそれらを霊視として納得することができず、混乱し、次への始まりとなりました。

 大阪の○○先生には、この4年後にも霊視を依頼し、まだ聞けなかったこと、ここでは書けないことなど、その後の変化を確認しに行きました。

A八王子の僧侶

 「精神病は病気ではない」他7冊の著書を読み、その後、手紙を書き、面会していただきました。
 この僧侶の活動の主な目的は、心を病んで苦しんでいる方の原因を霊視から紐とき改善させることであり、 目の前に何かが見えたり、聞こえたりするものではなく、睡眠中に「霊視をとる」といった手法で事前に情報を集め、対面セッションにて別人格が喋りだし、 医療としての治療を施術したが改善されない方の問題を特定し、別人格を供養するというものです。

 私の「死んだ妻に会いたい」ということは活動目的外ですが、それでも先生の話を聞きたく、面会していただきました。 先生からは、「そうなる前にこればなー。でも、これもご縁だから」と言われ、ご供養していただくこととなりました。

 本堂でお弟子さんの△△先生に、ご供養をしてもらっている間、ボーッとしておりましたが、ご供養が終わり、 △△先生に「桜の木が見えますがここはどこですか?」と聞かれ、以下の通りです。

僧:「桜の木が見えますがここはどこですか?」
私:「え、他に何が見えますか?」
僧:「小学校か、中学校だと思いますが、たしかに公立の学校です。その横に細い道が有り、左側に桜の木が見えます」
私:「どんな道ですか?」
僧:「とても細い道で、車一台がやっと通れる道です。そこを歩いて行くと、踏切が見えます。どこの風景ですか?」
私:「細い道はまっすぐですか?」
僧:「いえ、くねくねと曲がっています」
私:「それは、妻の実家から駅に向かう道です」
僧:「あ、そうですか。とても懐かしいみたいですよ」
私:「妻が見えるのですか?」
僧:「見えますよ。こうやって“ありがとうございました”(手を前にし、ペコっとお辞儀をする仕草をする)と言っていますよ」
 その姿が、生前の妻がよくやる仕草にそっくりで、思わず写真を取り出し、
私:「この子ですか?」
僧:「そうそう、でも着ている服が違います。デニム地の青い上着ですよ」
 家に飾ってある桜の木の下での写真は、デニム地の上着を着ていました。
 この日は、妻を亡くして以来、初めて妻の存在を感じられ、半年たって、やっと嬉しくて、嬉しくて、泣きました。

「霊視の風景2」 駅へ向かう道

 前妻の実家のあった場所へ、16年ぶりに行ってきました。
 小学校は建て替えられ桜は一本の若木となり、線路も高架となり踏切は無くなっていましたが、当時の面影も残っておりました。(撮影日時:平成29年4月8日、早朝)
 1枚目:道は拡幅され、歩道が付き、桜は一本だけとなっていました。
 2枚目:歩道が無く,当時の道幅です。
 3枚目、4枚目:クネクネと道が曲がっていて、車一台がやっと通れます。当時は3枚目のような砂利敷きでした。
 5枚目、6枚目:線路は高架となり、踏切は無くなっていました。

  • 霊視画像
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 現在は、八王子の僧侶は他界されているようです。

当時の私の思いを先生に宛てた手紙です。先生への手紙

D江原啓之氏

 江原氏がまだ無名の頃、江原氏の著書「自分のための霊学のすすめ」を読み、そこから,当時、毎月開催されていた下北沢の神社での講演会に4回参加しました。
 座布団に座り、参加者の中には、お菓子類をむしゃむしゃ食べながら参加している若い女性もいました。勉強会的な講演の中身は初歩的で、 そこから、何かを知るどころか、探していた霊能者であるか否かの判断には遠く及ばない、そんな会でした。

 それでも、江原氏の人柄と、故丹波哲郎氏の「丹波哲郎の霊会サロン」に江原氏が登場していたこともあり、個人カウンセリングに申し込もうとしましたが、 すぐ予約で一杯になり、電話もつながらない状況でした。
 2カ月に一度の、半年後のカウンセリングの予約開始日に電話を何度かして、その日も諦めかけていたのですが、午後4時頃に繋がり、
 「カウンセリングの申し込みですか?えーと、あと、4月30日の11時しか残っていませんがよろしいですか?」と告げられ、 もちろん、半年後のその時刻の申し込みを依頼し、半年後にカウンセリングを受けました。

 一時間程のカウンセリングでしたが、結果は、妻の存在を実感し、あまりの嬉しさに号泣してしまい、電車にも乗れず、 都心の思い出の地を妻と共に歩き続けていました。妻にやっと会えたのです。

 ここから、ようやく多少の余裕も生まれ、今後、霊能者に何人会おうと、認めざるを得ない事実のみが積み上がっていくことに気づき、 見えない者の存在を疑うことを止めることとなりました。
 それでも、妻に話しかけても返事が聞こえない寂しさは日々募り、異次元への興味が終わることはありませんでした。

 江原氏を批判する方も多数おりますが、何を根拠に、バッシングするのか?自分の考えと異なる者を、しかも一個人を攻撃する。 仮に、江原氏がデタラメを言っていたとしても、社会を混乱させていますか?
 同じものを見て、表現が違うことも、理解が異なることもあるではありませんか。私は、江原氏のおかげで確かに亡き妻を感じられたし、 癒やされ、閉ざしていた心を開放するきっかけとなりました。

 私と同じ悲しみを持った女性(彼女は私を同志と言っていました)と、退行催眠をきっかけに知り会い、 メールで、処理できない苦しみを掃き出し、情報交換していましたが、その日の出来事を彼女に送ったメールです。

個人情報以外はそのまま載せます「霊能者(江原啓之)に会ってきました

《2. 7人目の霊能者》

 平成29年4月に、私にとって7人目となる霊能者のセッションを受けました。
 このミディアム様は、天国とのネットワークに記載している事例のミディアムで、ミディアム様には大変失礼かと思いましたが、 「前妻の現在の状況確認」と「霊能者の能力確認」が目的でした。
 死後の世界も、死後の生も100%確信していますので、以前のような緊張感は無く、「天国とのネットワーク」を繋げ、癒しの拡がりを推進したく臨みました。
 霊視結果に特別な驚きは有りませんでしたが、その後の前妻の状況、前妻の死後に一緒に行った旅行や、プレゼントを喜んでいることが分かり少し安堵いたしました。
 セッションの記録は録音しましたので≪orpheus_journey≫に掲載することは可能ですが、割愛します。