『一生分の涙を流しても現実は変わらない』

《1. 死別悲歎の現実》

 あなたは、どれ位の涙を流したのでしょう?
 一生分の涙を使い果たし、もう泣くことも無くなったのではありませんか?
 いくら涙を流しても、現実は何も変わらず、苦しみは消えることはありません。

 「愛する人を亡くした悲しみは、時間が解決する」と言われますが、私の時間は止まっていました。在りし日から何も変わらないことを願って。
 「悲しみを乗り越える為に」とも言われますが、乗り越えなければいけませんか?。
 愛する人の代わりはいません。「旅立った妻に会いたい、もう一度話がしたい。いつまでも一緒にいたい」ただ、それだけでした。

 あなたは、グリーフケア・カウンセリングに何を求めますか?

 癒しですか?
 共感してくれる人ですか?
 医療行為ですか?
 忘れさせてくれることですか?
 それとも、一緒に泣いてくれる人ですか?

 私はどれでもありませんでした。死別した妻に会うこと以外に目的がありませんでしたから。
 しかし、現実にはある者に助けられ、そのおかげで、精神を安定させ、自殺することなく今生きています。

《2. グリーフケア・カウンセリングの効果》

 グリーフケアの解説書を3冊読んだ限りでは、どの書籍においても死後の世界は認めておらず、「死別遺族の話に耳を傾け、新しい目標に向かわせる」と言った内容が基本的な方針となっています。
 誰かに話を聞いてもらえれば、あなたの気持ちが晴れ、落ち着くことができるのであれば、グリーフケア・カウンセリングに精神安定の効果はあると思います。
 死別という現実に対応して、「立ち直りたい」と思える者は、生きることの目的を見いだせれば、前向きに生きて行けることでしょう。

 しかし、死別の喪失に苦しむ者の多くは、明日のことを考えることは無く、未來を失い、ただ夢遊病者のように暗闇の中をさ迷い続けています。

 カウンセリングにより、死別の喪失の苦しみや悲しみの原因を分析し、精神安定の措置として代替えの何かを、人生の意義と進むべき方向、生きる目的を示されるのでしょうか?
 前向きに生きて行くように説得されるのでしょうか?
 サポート・ケアにより、誰かに話を聞いてもらい、慰めの言葉を聞けば悲しみが癒されるのでしょうか?
 生きて行くことの全てを諦めた者に、社会適応の為のアドバイスが何の役に立つのでしょうか?

 死別の喪失による慟哭を閉じ込めることにより、一時的に状況を改善したのであれば、泣くことすらできない深い虚無を生むだけです。
 マニュアルやプログラムに沿ったカリキュラムなど何の役にも立ちません。うわべの言葉をならべられても何も聞こえません。励まし、慰めは、時には相手を追い込むことなることもあります。

 死別のグリーフケアは、どんな慰めの言葉よりも真実を知ることです。
 私が必要としていたグリーフケア・カウンセラーは、客観的な事実・根拠に基づいて、見えない世界の真実、その「問」に答えてくれる人。私に反論の余地すら与えない人でした。
 あなたを癒せるのは、あなたを無条件で愛してくれる人と、死後の世界を証明してくれる人です。

《3. グリーフケア・カウンセリングの資格》

 妻は、通院していた心療クリニックの前のビルから飛び降り旅立ちました。医師は国家資格であり、鬱や、精神疾患治療の勉強を重ね、そのプロセスと治療方法を熟知し、 多くの患者と接しているプロフェッショナルです。でも、生前、医師からの心無い発言に涙していたこともあります。
 それは、医師として自然な行動、発言であったのかもしれません。しかし、医師自身に経験のない領域で、人それぞれに異なる状況に対応しきれなかったのだと思います。
 若しかしたら、私も妻を苦しめていたかもしれません。当時は、精神疾患の知識も少なく、本当の意味でそのつらさを理解していませんでした。

 国家資格である医者や、○○士は、最低限の能力を保証し、権限と責任が明確に規定されており、行政処分も刑事処分も受けます。
 そして、グリーフケア、カウンセリング、催眠士までも、関連団体・協会の1級○○士、2級○○士のような認定資格が有りす。
 カウンセラー、セラピストと名乗っている人の中には、カウンセリングによる効果を約束せず、権威や資格を誇示する人が少なからずいますが、 カウンセリングにより、効果が表れない時、ましてや、状況が悪い方向に進んでしまったときは自己責任となってしまいます。
 その能力、効果を保証してくれない認定資格には責任がないということです。

 カウンセラーが「医療」とは別の領域であり法的責任がないのなら、そのような資格にどんな価値があるのでしょうか。
 私には、まったく理解できません。

 カウンセラー・セラピストに必要な条件は、死別悲歎のプロセスからのマニュアル化された対応策を実践することではありません。
 死別喪失者の苦しみ、悲しみを無条件に肯定し、自分のこととして感じ取れる優しい心です。私たちの苦しみや願いを、どれくらい理解してくれているのかです。
 そして、相手が必要としている「問い」に答えられる知識と経験です。私が知りたかったことは死後の世界の真実です。亡くなった妻の癒し方です。
 資格はプロセス、対処法を学んだ証ですが、心の証ではありません。
 死後の世界を知らず、認めないカウンセラーでは、死者へのいたわりなど存在しません。

 グリーフケア、カウンセリングは、安易にはできる事ではありませし、信念がなければやるべきではありません。
 私はメールにてご相談を頂いた方へお答えするだけでも、感情移入してしまいます。しかし、「やっと初めの一歩が踏み出せそう」 「私にもメッセージが届いた」と言うようなご連絡を頂けたときは、本当に嬉しく、私のほうこそ、ご縁が有ったことに感謝しております。

 霊能者に認定資格を設けたら、信用できますか?
 霊能者が国家資格であれば、「霊感商法被害」も減るはずですが。

《4. 私にとってのグリーフケア》

 もし、あなたや、あなたの大切な人がグリーフケアやカウンセリングを必要としているのなら、私が生きていられる理由、私にとってのグリーフケアを参考にしてください。

(1)同じ境遇の仲間・・・マイナス感情の肯定、孤独の解消

 一人は、同時期にご主人様を自殺で亡くし、退行催眠をきっかけに知り合い、メールで苦しみを掃き出し、 お互いに、死別した愛する人に会えるまで一線を超えないよう励ましあっていた女性です。 その女性とは、1年くらいメールと電話で連絡しあった後、一度だけ会い、それ以降は、お互いに連絡することは無くなりました。
 身近にいる者ですら理解できない苦しみ、悲しみを共有できた人です。他人には言えない泣き言を話し、 「諦めない」と言う共通の目標を持ち、どちらかが崩れそうになった時は、ただ話を聞く。精神状態が回復するまで何時間でも。

 励ましではなく、死別の苦しみ、悲しみを全て肯定してくれることです。死別の喪失を経験した人、全ての否定的な感情を認めてくれる人です。
 死後の世界を認めない者では無理です。せめて、「分からない」と言うスタンスでなければ。

(2)無条件の信頼

 もう一人は私の友人とその奥様です。友人は、私の前職で同じ職場で喧嘩しあい、そして現職でも同じ会社に勤めている者。そして奥様は、亡き妻の大切な友人です。
 何の縁でしょうか? 因果でしょうか?
 妻が亡くなって以降、隔週に一度は私の自宅まで、料理を作って来てくれました。隔週の休日を使ってですよ! 大変を通り越していますよね。
 そのご夫婦には、たまには泣き言も言いましたが、たわいもない会話が中心でした。彼らは、私が自殺しないように見張っていたのです。
 私も、彼らに甘えていましたが、精神状態もだいぶ落ち着いてきたこともあり、半年後にお断りしました。

 今、その友人に言う言葉は「おまえのせいで死ねなかった」です。「感謝」、「恩人」などと言うありふれた言葉では表現できません。
 ちなみに、私はその者に何も返していません。返せるわけが有りません。
 友人から与えられたものは、何も要求しない、無条件の優しさと信頼です。適切な表現が見当たらないので、優しさ、信頼と書きますが、理屈ではない絶対的な信頼です。
 その友人がいれば、最後には「さよならを言って旅立てる」と安心していました。

《5. あなたへの贈り物》

 死別の喪失を経験したあなたには、1つだけ最高の贈り物があります。それは、旅立った最愛の人に死別の哀しみを経験させなかったこと。もうその心配もありません。 あなたが全てを失ってしまっても、これだけは、もうだれにも奪えません。

「真のグリーフケアは、死後の世界を認めてから始まる」